COLUMN

新・デザイン@ランダム

第18回 人類とデザイン – その13

通産省によるデザイン振興事業が本格的にスタートし、地方行政レベルでの振興活動が始まることになった。
1960年3月、東京に「ジャパンデザインハウス」が設立され、より強力なデザイン振興活動が始まることになった。
先ずは前稿でも述べたように通産省のデザイン政策として、「海外の先進デザイン調査団の派遣」「外国人デザイナーの招聘事業」に続き
国際的に大きな課題であった「デザイン盗用/模倣対策」等の継続に止まらず、本格的なデザイン振興策が推進されることになった。
まず、1964年から67年にかけてニューヨークの高級百貨店「ブルーミングデール」をはじめ、
有名な専門店において収集された優れたデザインの商品に加え
ドイツのハンブルグで収集された商品の展示により、当時の先進的なデザインを紹介した。
加えて若い才能を活かすための方法として「海外デザイン留学生派遣」を実施、延べ98人が10か国に及ぶ留学先に派遣された。
国別ではアメリカ50%、西ドイツ15%、イタリア12%であり、帰国後はそれぞれの分野で成果を活かすこととなった。
これらの活動は1969年に「財団法人日本産業デザイン振興会・JIDPO」に移管され現在に至っている。
グッドデザイン選定事業始め、その活動については改めて記したい。

大阪デザインハウスの業績1
一方、大阪では民間主導により大阪府、市、商工会議所及び大阪産業デザイン振興会の共同事業として
1960年10月に「大阪デザインハウス」が誕生することになった。

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引用:「DESIGN LINK OSAKA VOL.45」 大阪のデザイン振興とODC-1 より

そして、その前段階として約3年前に大阪府を中心に、市、商工会議所、
学識経験者、トップデザイナーを中心に「大阪産業デザイン振興会」が発足し、
デザイン振興事業、及び恒久的な振興機関としての「デザインセンター」設立計画の推進を積極的に働きかけていた。
この年の5月には「世界デザイン会議」が開催され「デザイン・イヤー」としてデザイン運動が活発に行われた年でもあった。
幸い、大阪の中心部である堂島大橋南詰の大阪国際貿易センター4階に100坪余りの常設展示場を中心として開館されることになり
関係者待望の本格的なデザインセンターが発足することとなった。
当初の定款には主たる事業として、
①生産者、販売者及び消費者のデザイン啓蒙普及に関すること
②グッドデザイン商品の選定と展示ならびにその紹介、斡旋
③デザインについての相談、指導と斡旋
④デザインについての調査と献策並びに情報活動
⑤関係官公庁、諸機関、諸団体との関係促進
⑥デザイナー育成事業
⑦総合デザイン会館の設置推進
⑧その他、財団の目的達成に必要な事業 となっている。

その中でも主たる事業であったグッドデザイン選定事業は、1)工業製品 2)繊維製品 3)家具 4)雑貨の4部門が
年3回部門ごとに専門の審査委員により選定されることにより、季節ごとにその商品が展示されるという効果的なシステムであった。
そして翌1961年に「大阪デザインハウス年度賞」を選定し、
それらの成果を含めて6月に「第1回大阪デザインハウス・グッドデザインフェアー」が
大丸百貨店心斎橋店で開催された。
その後、このフェアーは御堂筋の4大百貨店で開催されることとなり、
幅広いデザインの成果が百貨店における展示により
多くの一般消費者に対しデザインという新しい概念に対する理解を深めることとなった。
創業時のエネルギーは新たな事業の継続に注がれ、多様な施策が展開されることとなった。
11月には「第1回関西デザイン会議」が開催され、メインテーマを「デザインと教育」とし
500名を超える参加者により、産業、社会、行政、学校という4つのテーマによるパネルディスカッションが行われた。
その後、1962年に「貿易と自由化」というテーマで第2回関西デザイン会議が開かれた。
一方、消費者のデザインマインドを高めることを目的として、1963年には「大阪デザインハウスサークル」が発足し、
女性デザイナーをはじめ、家庭の主婦が多数参加し、グッドデザイン審査にも参画することも含め、
幅広くデザインマインドを高める施策が実施された。

1965年、5年後に開催される「EXPO70・日本万国博」を控え、デザインをテーマとした準備活動が始まり、
1966年4月には「万国博がやってくる展」を開催、1967年に開催された「モントリオール万国博」には
大阪デザインハウスとして2組の調査団を派遣し、大阪万博に備える活動を行った。
1970年、千里丘陵を会場とする「EXPO70・日本万国博」が開催され、大阪が国際的に認知されることになった。
岡本太郎による「太陽の塔」を始め、アメリカ館の「月の石」、ソ連館の「スプートニク」をはじめ、
世界各国から多様な情報がもたらされ、大阪を中心として国際化が一層進展することとなった。

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引用:「DESIGN LINK OSAKA VOL.47」 大阪のデザイン振興とODC-3 より
同年3月、大阪デザインハウスは数多くの業績を重ねて10周年を迎え、
「財団法人大阪デザインセンター」として新たな発展を目指すこととなった。
同年3月、タイミングよく新たに開発された高速道路中央線下の船場センタービル4号館に移転した。
2階、3階を合わせて展示場として200坪強、付設の「デザイン研修所」に4教室100坪、
その他、会議室等を含めて400坪強のスペースを持つ充実した施設となり、更なる発展を目指すことになった。
本稿完、次回以降ODCの更なる活動について詳述することとします。

坂下 清 
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー

大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。

Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。

2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。

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