COLUMN

新・デザイン@ランダム

第15回 人類とデザイン – その10

大正ロマンが近代デザインのプレリュード(前奏曲)を奏でた!

1812年、44年間続いた明治から大正に時代が変わりました。
明治時代は「維新」の呼称通り、徳川幕府体制の崩壊により政治、経済のみならず
一般庶民の生活にも急速な変化が起こりました。いわゆる「文明開化」でした。

それまで、徳川幕府は第3代将軍徳川家光の時代寛永10年(1633年)に外国との交易を禁止する鎖国令を発布し、
原則として海外諸国との交易を一切禁止しました。
この政策は他に情報伝達の手段の無い時代であったため、単に物資の輸入を禁止するのみならず、
仲介する人たちを通じて流入する海外からの情報が全く入らない時代が長く続くことになりました。
ただし、唯一の例外として、翌1634年に長崎に出島を作り、1859年まで諸外国との交易拠点として
西欧の珍しい物品のみならず、医学、学術関連書籍等の情報も流入していました。

この様な例外は存在していましたが物品のみならず、世界レベルの情報は殆ど入手することは不可能であったことから
「歌舞伎」「浮世絵」のような独自の文化が発達したとも言えます。
しかし、新たな時代の到来により大きな変化が起こることとなりました。

大正時代はわずか15年という短い期間ではありましたが、日本は「日清・日露」の2度にわたる戦勝の結果、
欧米の列強と肩を並べ、第1次世界大戦にも参戦、勝利者側についたことから極東の小国ながら国際的な認知度が高まり、
文明・文化の両分野で新しい物品や情報が流入することになりました。

同時期、ヨーロッパでは植物に由来する曲線を多用する「アールヌーボー・アールデコ」が
建築や家具、インテリアのデザインテーマとして大きな流れを作っていたことから
強い影響を受けた「大正ロマン・大正モダン」が時代を象徴する呼称となりました。
続いてこの時代を象徴する建築や芸術文化を紹介することにします。

まず、この時代を象徴する著名な建築家、辰野 金吾(1854年、嘉永7年)による二つの名建築が現在も存在感を示しています。
一つは長年にわたって東京の表玄関の象徴として海外からの旅行者からも親しまれている東京駅であり、
特に南北二つのエントランスホールの天井ドームはイタリアルネッサンス期の端正なドームに匹敵するものです。
目的地を目指して急ぎ足の乗降客も、一度は立ち止まってドーム天井を見上げて欲しいと思っています。
辰野は、東京日本橋に現存する日本銀行本店を始め多くの名建築を手がけました。

もう一つは大阪の中心地である中之島に朝日に映える赤レンガと大理石の列柱による端正なファサードで親しまれている大阪中央公会堂です。
建築設計は当時としては非常に珍しかった設計競技(コンペティション)方式により一等に選ばれた、
岡田 信一郎の案をもとに辰野 金吾と片岡 安が実施設計を行いました。
前述の外観のみならず内部も随所に使われたステンドグラスのみならず、当時のインテリアデザインのレベルの高さを表しています。
この中央公会堂の西、御堂筋に面した一等地に大正10年に建てられた旧大阪市庁舎も前期の片岡 安の設計によるものであり、
東隣りの中之島図書館、そして中央公会堂と連なり大川に映える景観となっていました。

さて、大正期のもう一つの側面として新しい時代を表していたのが芸能分野でありました。
大正元年には活動写真(映画)の制作会社として「日活」や大衆演芸の「吉本興業」が設立されました。
また、大阪の新世界には初代の「通天閣」が完成しています。
大正6年には「浅草オペラ」が始まり、エノケンの愛称で親しまれた榎本 健一や古川ロッパが下町の人気者でした。
大正末期には大阪の寄席で人気を誇った漫才コンビ「横山エンタツ・花菱アチャコ」が寄席の舞台に初めて洋服姿で登場したのも話題となりました。
これがきっかけとなったのか、一般男子の洋服スタイルが急速に増加しました。

また、人気を博した大衆画家として抒情的な美人画を得意とした竹久 夢二が活躍しました。
江戸時代の浮世絵の流れは感じられますがすでに世紀末のヨーロッパの人気画家であった
「クリムト」や「ビアズレイ」等の抒情画家の影響もあった可能性も考えられます。

また、この時代の大きなトピックとして1922年、大正11年に発表され大きな話題になったのが
寿屋(現在のサントリー)の赤玉ポートワインの宣伝ポスターで日本初のヌードが使われたポスターでした。
しかし、一方では美術展の裸体画が警察からの禁止令を受ける矛盾もあったとされています。
東京では新しい建築が次々と誕生、大正9年には両国に新国技館が完成、続いて高名な「フランク・ロイド・ライト」の設計による
帝国ホテルや東京駅前に丸ビルが完成しています。
この様に東京、横浜、大阪、神戸、等の大都市は急速に近代化が進み、次の昭和に移ることになりました。

坂下 清 
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー

大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。

Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。

2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。

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