第14回 人類とデザイン – その9
新たなデザインの世紀が始まる
1945年9月、1939年から6年の長きにわたって世界中を戦禍に巻き込んだ第2次世界大戦が終了し、
戦後の混乱期を乗り越えて復旧のための経済活動が始まりました。
当初は戦勝国、敗戦国を問わず生きるための衣・食・住の確保が優先されましたが、
直接的な被害を受けなかった米国を始め多くの国では平和の中でより豊かな生活を求める動きが活発になりました。
それに伴いデザイン活動も緩やかながら動きを見せ始めることになりました。
注目されるのは、個々のデザイナーの活動のみならず「Design Promotion・デザイン振興活動」が
国家レベルで推進されたことであります。
*England, The Council of Industrial Design
先鞭を切ったのは、W.モリスによる近代デザイン運動の発祥の地とされる英国であり、
第2次世界大戦の終了を待たず、1944年12月に王立資金を原資とするデザイン振興機関
「Council of Industrial Design/CoID」が設立されました。
Councilはロンドン市内の中心部に置かれ、59名のスタッフを擁し、展示室、資料インデックスにより
誰でも必要な資料や優れたデザイン製品を見ることが可能となっていました。
運営方針として示されていたのは、
・デザインによりビジネスの発展を促進し、すべてのサービスについて効率的な向上を図ること。
・現実的な解決策により複雑な問題点を解消し、
・最新のデザイン思考によりより良い解決策を見出すことを目指す。 等の目標が掲げられました。
加えて月刊誌「DESIGN」も出版され世界各国にも紹介されていました。
(余談ですが、私も学生時代に当時唯一の取扱店であった日本橋の丸善書店にて
毎月の到着を待ちかねて購入したことも懐かしい思い出となっています。)
デザイン誌はその後、スイス、ドイツ、イタリア、そしてアメリカでも出版が続き、
世界のデザイン振興に大きな影響を与えることになりましたが、
現在では残念ながら活字離れの傾向が強く多くのデザイン専門誌が絶版となっています。
*U.S.A. IDSA, Industrial Designers Society of America
2度にわたった世界大戦で自国に戦火が及ぶことの無かった米国は、経済の回復は速く、
広大な国土を結ぶ鉄道や道路網の拡充が進むことにより消費経済は急速に発展することとなりました。
そして、生活に関わる多くの商品に新たな魅力を与えるデザイナーの活動も活発になりました。
産業界とインダストリアルデザイナーの関係は経済先進国の中では最も早く確立され、
相互に恩恵を享受するいわゆる「WIN/WIN」の関係が構築され、デザイナーの社会的地位も認められることになりました。
この様な状況の中で、前述の英国を始め、他の諸国のように国家主導によるデザイン振興活動ではなく、
多くのデザイナーによる連携活動が始められました。
1944年2月、東海岸地域に於いてすでに顕著な業績を上げている15人のデザイナーが集まり
「Society of Industrial Designers・インダストリアルデザイナー協会」を立ち上げました。
メンバーは引き続き1年以内にそれぞれ1名のデザイナーを加えること、そして、少なくとも3点、
異なった商品分野のデザイン成果を有することといった厳密な規定を設けました。
これらの規定によりインダストリアルデザイナーの職能の社会的、且つ、法的な資格を確立することを目指しました。
そして、初代の代表者(PRESIDENT)として前稿で記したWalter Dorwin Teague が就任することになりました。
そして、1962年に「American Society of Industrial Design・ASID」と名称を変更しています。
その時点で100名のメンバーが国内の4つの地域において積極的な活動を行っています。
そして現在では、1000名を超えるレギュラーメンバーと、多くの学生メンバーを擁し、国際交流も含め積極的な活動を行っています。
*スカンディナヴィアデザイン
世界大戦の直接的な戦火を免れた北欧3国(ノルウェー、フィンランド、デンマーク)は、戦後1950年代に入り豊富な木材資源を利用した
良質な家具、伝統的な手工芸品や王室窯による陶磁器、ガラス食器等々、優れたデザイン、
オスロ、ストックホルム、コペンハーゲンといったそれぞれの主要都市でスカンディナヴィアデザインに関する協議が続けられ、
「デザインを通じて北欧諸国は一つのまとまりを目指す」という方向性が定まりました。
そして、1954年から1957年にかけてアメリカやカナダの主要都市で開催された「Design in Scandinavia」という展示会が
北米の家具市場でスカンディナヴィアデザインというジャンルを確立することになりました。
ヨーロッパのみならず、最大の市場であるアメリカでも、その優れたデザインに対する認識が高まり
家具、陶磁器、ガラス器等が高級家具、食器として「ブルーミングデール」等の高級百貨店で人気を博しました。
このスカンディナヴィアデザインを代表するのが、建築家であり家具やガラス食器まで優れたデザインを数多く創り出したアルヴァ・アールトであり、
数多くの著名な建築のみならず、成型木材を活用した優れた家具を数多く創作することにより
スカンディナヴィアデザインのリーダーとして認められることになりました。
*ドイツ、イタリアにおける近代デザインの展開
既に述べた通り、ドイツは20世紀初頭の「BAUHAUS」に於ける近代デザイン教育が
その後の世界のデザインに大きな影響を与えることとなりました。
しかし、残念ながら生活用品に関してはドイツデザインと認められる大きな成果は生まれていませんが、
その中で世界に認められたのが「BRAUN」のシェーバー、卓上時計、そして一連のオーディオ機器と言えます。
無駄のないシンプルで機能的なデザインにより世界市場で認められました。
加えて、ライカのカメラ、ゾーリンゲンの刃物、ボッシュの工具等、高度な技術に裏付けられた商品は、ドイツデザインの象徴とも言えるでしょう。
しかし、現代のドイツデザインの評価は自動車が担っているといっても過言ではないでしょう。
その代表と言えるのが「フォルクスワーゲン・VOLKSWAGEN」と言えます。
1937年の第1次世界大戦終了後、ナチスドイツのヒトラー総統がフェルディナンド・ポルシェ博士に命じて開発させた
国民車という意味の自動車であり、小型の空冷エンジンを後部に位置させた独特の設計で世界市場で大きな需要を生み出しました。
後に2003年メキシコ工場における生産を最後に2,153万台という驚異的な生産を達成し、今後もその記録は破れないものと考えられます。
(それまでの記録はフォードが開発した世界初の量産車、T型フォードによる1,500万7,033台)
現在では加えてAudi、Benz、BMW等、性能のみならず先進的なデザイン性も高い評価を受けています。
ルネッサンス発祥の地であるイタリアでは、世界的にも高い評価を受けている
ファッショングッズやベネシャングラスに代表されるガラス製品と同様、
フェラーリ、アルファロメオ、FIAT等の個性的な自動車が世界市場で高い評価を受けています。
そして、タイプライターに代表される事務用機器の世界的メーカーとして知られているのが「OLIVETTI」であり、
高名なデザイナー エットレ・ソットサスのデザインによるポータブルタイプライター「ヴァレンタイン」は
イタリアンデザインの代表作の一つとして高く評価されています。
また、有名なデザイン誌「DOMUS」を主宰していた建築家、ジオ・ポンティは、
シンプルな家具デザインの椅子や彫刻的な美しさを持つトイレットのデザインでも大きなインパクトを与えました。
オランダは、風車やチューリップに代表される田園都市風景が知られていますが、
一方では南部の都市「Eindhoven/アイントホーフェンに本社を置く「PHILIPS」は、1891年電球メーカーから出発し、
多角化により「世界のフィリップス」に成長したが、1960年にデザインセンターを設立、
1980年にはアメリカの「ハーマンミラー社」のデザインディレクター、ロバート・ブレークを招聘して
グローバルなデザイン戦略を展開し大きな成功を収めました。
本稿完、次稿はいよいよ日本の近代デザイン展開の歴史を幅広くレビューする予定です。
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー
大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。
Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。
2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。