第3回 ピクトグラム/Pictogramについて考える(2)
前稿に記したとおり、ピクトグラムはそれぞれの民族が過ごしてきた生活の歴史の中で共通の認識として形成されたものですが、
現在のように地球レベルで交流が進むにつれて、必ずしも認識が一致しない状況が現れています。
その事例の一つが我々にはなじみ深い温泉マークです。
ご承知の通り、日本は世界でも有数の火山国であり、地震発生件数の多いことでも知られていますが、
一方では全国的に湯量の豊富な温泉に恵まれています。
また、寒暖の差や湿度も高いことから入浴という習慣も一般的になっています。
江戸時代、日本は都市化が急速に進み人口集中に伴い、庶民の生活の中でいわゆる公衆浴場が普及し、
その後大きな都市では「銭湯」が庶民の生活に定着してきました。
私たちは、露天であれ、湯船であれ、暖かい湯だまりがあり、温かな湯けむりが立ち上っている状況を象徴している「温泉マーク」ですが、
海外からの観光客にとっては解りにくいという声が多く、新たに家族を象徴する3人が湯船に入っているピクトグラムが提案されています。
確かに誰が見ても暖かい温泉を楽しんでいることが良く理解出来るデザインだと言えます。
さて、世界の各国では生活の進化に対応して個人や生活集団、日々の営みの中で情報交流の必要性が生じます。
しかし、古代ギリシア、勝利の知らせを長距離の走りで知らせたと伝えられるマラソンの事例の如く、人の移動によって情報が伝えられていました。
その後、中国の三国時代には鳩による文書の伝達が行われていたとされます。
日本の江戸時代には健脚を誇る飛脚が大名や商人の重要な文書を運ぶ役割を担っていました。
高名な浮世絵画家広重による東海道五十三次には、旅人に伍して文書箱を肩に担いだ飛脚が描かれています。
また、映画の西部劇では西部の町を結ぶ「駅馬車」によって、革袋の郵袋が郵便物を運ぶ状況が良く見られます。
続いて郵便事業にまつわる古くからヨーロッパで親しまれているシンボルマークと
日本で明治時代から現在に続いている郵便事業のシンボルマークを紹介したいと思います。
ヨーロッパでは古くから郵便馬車によって町や村に郵便物が配られていました。
そして御者が吹くのどかな音色の「ホルン」が郵便配達のシンボルとなり、
現在でもドイツをはじめヨーロッパの諸国が郵便事業のシンボルとして採用されています。
日本では1885年(明治18年)内閣創設時に逓信省が発足、その名称の由来は駅逓の逓と電信の信を合わせたものとされています。
そして現在でも街角で目にする赤い郵便ポストの差し入れ口の真下に明示されているのが
実はこの逓信省の頭文字である片仮名の「テ」の字なのです。
ヨーロッパのホルンに比べればロマンはありませんが誰にでもわかるシンボルであるとも言えます。
この二つの事例は郵便という生活に密着した事業が明快なシンボルによって多くの人たちに認知されている
好適な事例であり「ピクトグラム」基本条件を明確に示しているものと考えられます。
そしてよく似た事例が「立体ピクトグラム」と仮称で呼びたい理髪店の赤、白、青の三色のストライプ模様が回転するサインポールです。
この立体サインが定着した理由はよくわかりませんが、一説では12世紀のヨーロッパで当時の理容師が
外科医を兼ねていたことから血液の赤と静脈の青がシンボルとして使われたと言われています。
このサインをピクトグラムと呼ぶかは別として、広く世界で定着しているサインとして認められる見事な事例ではないでしょうか。
今後国際交流がますます進化することは確かであり、固有の言語を超えて多くの人が共通の理解が得られる
「ピクトグラム」の創造を期待して止みません。
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー
大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。
Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。
2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。