座標

2012.03.27
株式会社ワイエスデザイン 代表取締役/デザインディレクター野口 聡氏

■ちょっとだけ、ずらしてみる

「ペンのキャップだけデザインしてもらえませんか?」文具メーカーの若社長から依頼を受けたときは、正直、出来ればペン全体のデザインをさせて欲しいと思いました。そのペンとは、インクかすが出ず、なめても安全なホワイトボードマーカーで、子供にも安心な商品です。そのメーカーはオリジナル商品を開発するのは初めてでした。金型投資をおさえる上で、すでに売られているペンに安全なインクを充填して売り出そうと考えたのです。しかし姿形に全くオリジナリティーが無いというのでは...せめてキャップだけでも、という事で冒頭のような依頼になった訳です。

何か手はあるはずや! -いま、この場で発見するデザイン-
2012.02.14
静岡文化芸術大学 デザイン学部 准教授高山 靖子氏

■はじめに

1960年に日本で初となるデザイン振興機関「JAPAN DESIGN HOUSE」が誕生してから約50年が経った。その後、各地方においてもその役割を担う機関であるデザインセンターが次々に設立され、今日までに継続・統合・廃止と様々な経過を辿っている。開設当初の役割を終えた機関は廃止あるいは他の機関に統合され、継続している機関については、その目的は設立当初も現在も地域産業の振興であることに変わりはないものの、時代の要求や地域環境によって業務の重心を以下のように変化させている。
①「学ぶ」活動(展示会、セミナーなどの啓発活動)
②「結ぶ」活動(デザインの必要性の周知:企業とデザイナーのマッチング)
③「育てる」活動(デザイン人材育成:中小企業、デザインマネージャー、学生など)
本稿では、比較的早期に設立され現在も継続している大阪デザインセンター、国際デザインセンター、富山総合デザインセンターの3つのデザインセンターの業務の変化と、近年活動を開始した長野県地域資源製品開発支援センター、さらに、関連する大学研究機関の動きなどを上記①②③の視点から考察し、今後のデザイン振興の在り方を考えたい。
なお、業務の一つとして「広げる」活動(地域デザインの他地域への広報)は各デザインセンターにおいて欠かせない業務であるが、開設当初から変わりなく活動を行っているため、本稿では割愛することとした。

デザインセンターの担う デザイン振興のあり方について
2011.11.18
Kanaé Design Labo 代表塚本 カナエ氏

■再考・再構築の時代

今年5月から大阪に事務所を全面的に移転した。先の震災を東京で経験し、今後様々なことが変わらざるをえないだろうと感じたからだ。
日本人は東京に固執する人たちが多いと私は常々感じていた。ヨーロッパに居る時、彼らは田舎暮らしをとても愛していて、できることならそこにサマーコテージを持ちたい、もしくは既に持っている...などで休みのたびに首都を抜け出し、そこに行く...50代の友人は終の棲家としてそこを考えていて、その周辺の人たちのコミュニティに積極的に参加してリタイア後の生活を心豊かなものにする備えを着々としていた。働き方も週3日タイムズ・文学※1のほうでの編集・校正などをしていた。その他はフリーなわけだが、フラット※2を恐らく50年リースとかで借りて住んでいた。車は古いフォルクスワーゲンゴルフだったと記憶している。別に走ればいいのだ。恐らく車種はそうこだわりはない。週1回は観劇か映画に行く。友人、家族、親族とのつながりが深く、よく行き来していた。
このことから学んだことは、彼女は決してお金に囚われた生き方をしていない。人生に重要なことは友人やファミリーだということがわかる。
デザインのチカラ
2011.08.19
平井憲一建築事務所 主宰平井 憲一氏

■先人からの贈り物

設計を始めた頃は「新しさ」を求めていた。
しかし、時代をリードできる程のデザイン力も無く暗中模索している時に、江戸末期の民家に出会った。1980年高度成長期で時代のニーズも、既設のモノを解体して経済性と効率を考えて早く・安く出来る建物が求められ大量生産されていた。一方で建築家・デザイナーは、新しさを求めてDesignを競っていた。そんな中、増築依頼があり現地に伺うと、ひっそりと重厚さが漂う古びた木造家屋が目の前に現れた。場所は大阪市内にあり敷地は約300坪、裏門のギィギィと音がする潜り戸から前庭に入ると左に母屋・蔵・離れ・奥座敷があり、その一角に離れの増築を希望された。クライアントに離れを増築をした後、「この母屋はどうするんですか?」とお尋ねしたら、「私の代はこの状態のまま維持するが、息子の代にはどうなるか分からない」と言われた。確かに前時代的な住居形態で現代人には無用と判断され多くの建物が解体されようとしている。
しかし、私は朽ち枯れた古びた建屋が、人々の生活を連綿と紡ぎ、風雪に耐え、家族を守り抜いた生命力や、キズつき汚れていても「木」の持つ人肌にも似た温もりは、経済性と合理性を求めた新しい建築では得ることができない先人が残してくれた遺産だと確信して、「受け継いだ遺産」を「次の世代に受け渡すこと」が大切ではないかと思い、増築では無く再生の道を提案した。

未来に残したい日本の遺産
2011.03.30
ミズノ株式会社 商品開発本部 デザイン部 部長加藤 祐介

■はじめに

私自身、企業にデザイナー職として30年以上勤めています。スタッフから始まり管理職になりインハウスデザイナーとして様々な体験をして来ています。今回はインハウスデザイナーの役割について、最近の社内で起きている役割変化など紹介しながら、考えている事をまとめてみたいと思います。
ミズノでは、商品開発本部の中にデザイン部は位置づけられています。初めてのデザイナーが採用されたのが1967年で以来約43年の歴史があります。それまでは技術開発を強化していた時代であり、そのため技術開発部門の中の一デザイン担当者から始まり、増員されながら技術部隊との共存を主体に進化してきました。その後商品企画部への編入もありましたが、現在は商品開発本部の一部門のデザイン部として2006年に室からの昇格も果たして現在に至ってます。

ヨーロッパ 創造の現場
2010.10.30
株式会社シマノ デザイン室 参与明上 誠治

■はじめに

私はシマノで趣味性の強い釣具と、機能性の強い自転車部品のデザイン創造に長く携わってきました。価値観の異なる二つの創造経験を基に「デザイン創造の原点」について考えてみたいと思います。この機会に、創造の原点や企業価値・商品価値を再考していただければ誠に幸いです。

創造の原点に返って 釣人・アスリートの心と共に